ヘル朝鮮(hell Korea)とは伝統や安定の崩壊の末に生まれたものなのか?

今日は久しぶりに外国の話をしようと思う。

先日、この本を読んだ。

韓国といえば、受験戦争に代表されるように「競争が激しい社会」というイメージは以前から持っていた。

しかし、昨今ではその競争がますます過熱し、社会の歪みが大きなものとなっている。

本の目次に沿って簡単に紹介しよう。

・過酷な受験競争と大峙洞キッズ

韓国の受験戦争の象徴と言えば、大学入試試験(通称:「修能」)だが、そのための準備は小学生の段階で始まっている。

小学年が学校の放課後に23軒の塾に通うことが珍しくない。

塾では先行授業として高校の授業で学ぶ内容を教えられている。

そのため、学校の授業中は教師の話を聞いているフリをして塾の宿題をするか、塾の勉強へ向けた睡眠をする場所となっている。

また、親がもっとも力を入れる早期教育が英語であり、小学生の段階から語学留学する(させられる)子どもも多い。

当然、親が払うべき教育費は膨大なものになり、過度な教育ストレスに苦しみ精神を病む子どもは増える。

一応、政府はこのような行き過ぎた早期教育を好ましくないものと考えて、あの手この手で防止しようとしている。

だが、ある政権が「これからは英語がより必要となるため、英語教育に力を入れる!!」と宣言すれば、「これからは英語が評価されるから」という思いから、外国語高校への進学熱や英語塾が大ブームとなり、次の政権が過度の英語偏重教育を是正するために、大学入試の基準を絶対評価に変えたり、先行学習を禁止する法律を作ると、英語以外の教科の授業を行う塾が繁栄するなどイタチごっこが続いている。

・厳しさを増す若者就職事情

さあ、無事に大学へたどり着けたら、安定した輝かしい人生が待っている…かと言われたらそうでもない。

大学に入学した若者たちが次に駆り立てられるものは公務員か大企業へ就職である。

なぜ、そこまで公務員と大企業にこだわるのかといえば、公務員はリストラの心配がなく定年まで働けて、中小企業は賃金や福利厚生の面で大企業との格差が大きいため、民間企業に就職するなら「どうしても大企業」と考えているからである。

そんな彼らは在学中から就職に有利になるように大企業でインターンをしようと試みるのだが、無給のインターンですら驚異の倍率を勝ち抜かなければならない。

そこに入り込めなければ、経験を積むために(仕方なく)中小企業でインターンをするのだが、そこで行われているのはおおよそ就職に役立つとは思えない雑用ばかりで、要は単純労働の人手不足を補うために利用されているのである。

就職へ向けた準備はインターンだけではない。

出身大学、大学の成績、海外語学研修、TOEICのスコア、大企業が大学生に向けて開催する応募展への参加、資格、ボランティア、これにインターンの経験を加えたものが、就活に必要な「8大スペック」と呼ばれている。

最近はこのスペック作りが、外見(美容整形)、自費出版、オンライン媒体の創刊、英語以外の外国語などますます加速して、そのための費用も大きな負担となっている。

そこまでしても、厳しい経済状況の下、公務員や大企業に入れるのはごく一部であり、大半の人は志半ばで夢が破れる。

そんな公務員や大企業の正社員になれなかった若者たちは絶望に駆られ、自殺とまではいかなくても(実際に自死を選ぶものもいるが)人生の全てを諦める。

そのような若者たちを表す言葉が「N放世代」である。

元々は上の世代では当然だった、恋愛・結婚・出産の3つを放棄した「三放世代」と呼ばれていたが、それに就職・マイホームの2つを加えて「五放世代」へと発展し、さらに人間関係・夢の計7つを諦めた「七放世代」と進化(?)していったため、3だの5だの数字をつけても切りがないということで数学用語のN(ナンバー)が使われるようになった。

そんな人たちが人生の一発逆転をかけて命を懸けるのが仮想通貨である。

このように、死を覚悟で仮想通貨に全財産投じる廃人は「ビットコインゾンビ」と呼ばれている。

・職場でも家庭でも崖っぷちの中年世代

「若者が厳しい思いをしているのは中高年が既得権にしがみついているからだ!!」

別の国で何度も聞いたような世代間対立を煽るフレーズであり、韓国にもそのように考える若者はいる。

しかし、韓国の中高年は社会の果実を独占している極悪人であるというわけでもない。

氷河期とも言われる経済状況では企業内で階級破壊、序列破壊が起きて、かつてのような安定したサラリーマン人生は存在せず、退職の繰り上げが広がり、法的な定年は60歳であるが、役員になれなければ、50代前半には多くの社員が退職勧告を受けることになる。

というわけで、役員になるために仕事の能力以外の面でライバルに差をつけようと考えた人たちが熱心に行っているのが美容整形である。

どうやら、「サラリーマンにとって老けて見られることはポストを明け渡す時が来たことを意味するから」らしい。

リストラに怯える一方で、昔ながらの子どもの教育費や親の介護費用の捻出といった家族に対する責任は負わされる。

先ほど触れたように韓国では子ども教育熱が加熱している。

中には子どもの頃から海外へ長期留学させるケースもある。

だが、大学生ならともかく、高校生以下の子どもが言葉も通じない国で生活することは並大抵のことではない。

そんな家庭では母親が留学先に同行し、韓国に一人残された父親が仕送りを行うことが増えている。

そんな父親につけられた呼び名が「雁(がん)パパ」である。

ちなみに、家族に会いたくなったら、いつでも留学先へ飛んで行くことが出来る財力がある親は「鷲パパ」と呼ばれ、飛行機代がなくて海外へ飛んで行けない親のことは「ペンギンパパ」と呼ばれる。

自分はリストラに怯えながら、ここまで高額の教育費を負担しなければならないストレスは想像しただけで恐ろしいものである。

そんな人たちが、熱心に行っているものが資格の取得である。

会社をクビになった後も、すぐに次の仕事を見つけるためというのが理由らしいが、年齢差別が残っている韓国では、高齢であれば、資格を取得しても経験がなければ、仕事に就くことは容易ではない(経験があっても簡単ではないようだが)。

そんな人たちの多くが始めるのがチキン屋さんの経営。

たとえ、学歴が中卒であろうが大卒であろうが、以前の勤め先が中小企業だろうが大企業だろうが、関係なく最終的に行き着く先がチキン屋さんということを表す言葉が「起チキン」である。

・いくつになっても引退できない老人たち

韓国人の平均引退年齢は73歳である。

ということは、チキン屋さんになるかどうかはともかくとして、多くのサラリーマンは退職後も20年程は別の仕事で働き続けることになる。

その多くはドライバーやごみの回収などの低賃金で行う肉体労働である。

ソウル市では65歳以上の高齢者は地下鉄の無料パスが与えられるため、タダで地下鉄に乗れることを活かして小口の配達を行う人もいる。

現役世代は子どもの教育費が増え続ける中で、親の面倒を見る余裕などなく、子どもからの援助は当てにならない。

しかし、社会保障が脆弱な韓国社会では、公的年金の運用が開始されたのが1988年と最近であることから、多くの人が十分な額の年金を受け取ることが出来ず、退職後に悠々自適な年金生活を送ることなど困難である。

それどころか、日本と同じく高齢化が進むにつれて、社会保障の負担が年々増え続ける。

そのことから、高齢者は疎まれている。

たとえば、先ほど紹介したソウル市の高齢者向け地下鉄無料パスによって、ソウル都市鉄道公社は年間7000億ウォンの損失が出ていると発表し、支給年齢を65歳から70歳へ引き上げの検討と、政府に損失を補填するよう要請していることが報道されると、インターネット上には「老人虫」「年金虫」「生産性がない高齢者たちが若者の負担を増加させている」といった高齢者を侮辱するコメントが溢れた。

かつて、「高齢者が世界一幸せな国」と言われた儒教の国韓国は過去の話で、現在は敬老社会から嫌老社会へと変化している。

・安定が崩壊したきっかけ

子どもは受験のための競争。

若者は就職のための競争。

中年は会社内の居場所と家族を守るための競争。

高齢者は生きるための競争。

いつもどこでも無限競争地獄が続く韓国だが、一方で、結局はコネや、親の資産の影響が大きく、努力だけではどうにもできない閉塞感が蔓延している。

そんな絶望に満ちた韓国社会を表す言葉が「ヘル朝鮮(hell Korea)」である。

ちなみに今回取り上げたのはあくまでも一部であり、その他にもおぞましい競争や、「情熱ペイ」や「スプーン階層論」、「ゲジョン・チェックリスト」など日本社会にも通じる話題がいくつか登場する。

さて、本によると韓国社会がここまで歪んだきっかけは97年のアジア通貨危機にある。

朝鮮戦争後の韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を成し遂げた。

日本が明治維新以降100年をかけて、西洋が300年かけて歩んだ近代化の過程を1960年代からわずか30年で達成したことは「圧縮成長」と呼ばれた。

元々、韓国式の経済成長の特徴は効率の重視にあり、財閥を手厚く保護し、財閥が市場を独占することにあった。

もちろん、そこには政治の癒着や腐敗もあるが、社会が成長して豊かになれば、下請けの中小企業にも金は周り、大企業へ入れなくとも安定した人生を送ることができるため、大きな問題とはならなかった。

このような安定した成長もIMF危機によって終焉した。

韓国初の左派(右翼と左翼の定義は日本と韓国では異なるため参考程度に)政権となった金大中大統領は経済の主権を取り戻すためにIMFの要求よりもさらに強力な新自由主義的経済改革を推進して、アメリカからは「IMFソウル支局長」の名を頂戴した。

その結果、韓国は38ヶ月の早期に借入金を返済し経済主権を取り戻した。

だが、それにより、貧富の差は拡大し、整理解雇制と労働者派遣制によって中流層の崩壊を招き、「国も会社も信用できず、信じられるのは自分だけ」という思いから人々は競争へ駆り立てられた。

著者はこのように政府の行き過ぎた新自由主義政策によって、すべての世代が無限の競争に駆り立てられている社会が、日本を含む資本主義社会へ広がることを警告している。

・競争地獄と同調圧力のパラドクス

ここからは私が本を読んで感じたことを書こうと思う。

まず一つ目は、今、韓国で生きることはここまで大変なのかという驚きである。

特に高齢者の生活苦は意外だった。

生活が苦しい上に、社会からクズだとかお荷物扱いされていて、なんともいたたまれない。

それから、IMF危機以降の話は、バブル崩壊後の日本の凋落とよく似ている気がする。

しかし、私が疑問に思ったのは、「今韓国で起こっている競争地獄とは、本当にかつての安定した成長モデルを放棄して、新自由主義を採用したことによって生まれたものなのか?」という点である。

競争へと駆り立てられた人々を見ていていると、そこには(生死がかかっている高齢者はともかく)競争に参加せざるを得ない強力な同調圧力を感じる。

もしも、私が知り合いの韓国人から、いかに競争がつらいのかを打ち明けられたら、「そんなひどい競争から今すぐ降りて、別の生き方を探した方がいいのでは?」と答えるに違いない。

まあ、所詮は他人事だから言える無責任な発言と受け取られるかもしれないが…

このように、競争が厳しいことよりも、否応なしに競争へ参加させられることや、競争に敗れた者はまともに生きる道が用意されていないことの方が問題だと思う。

だが、よくよく考えてみれば、競争が厳しいことと同調圧力が大きいことは矛盾していないだろうか?

オリンピック選手になりたい人や、ノーベル賞級の発明をしたい人は猛烈な競争に身を投じることになるのだが、その様子を見た他の人が「自分も競争に参加しなくては!!」と危機感を煽られ、息苦しさを感じるだろうか?

成功した人を嫉んだり、足を引っ張ったりするだろうか?

私には、今の韓国は以前に比べ安定した生活を送るチャンスは減っているが、安定した大企業に就職して同じ会社で働き続けることが「正しい生き方なのだ」という規範やレールは未だに残っているように見える。

そして、その枠が希少となったがゆえに激しい競争が起きているのではないかと。

つまり、かつてのように誰もが安定した職につける時代ではなくなったが、財閥系企業を頂点とする大企業ので働く正社員の中心層はそのまま残っている。

本来であれば、第一労働同一賃金や公的福祉の充実により、大企業と中小企業の格差を縮小するべきなのだが、かつての成長モデルを放棄できず、その限られた安定を奪い合っている状態が今の過当競争なのではないか。

文在寅政権は小さな政府や新自由主義政策と決別して財政支出を増やすことを表明し、公務員の数を増加させる政策を取っている。

その結果、安定した職業に就くことを希望する若者が殺到し「せっかくチャンスが増えたのだから、なんとしてでも公務員になって見せる!!」という意気込みからか、受かるまで就職浪人を続け、若年失業率はかえって悪化したとの話もある。

公務員の数を適正化することは重要なことなのだろうが、たとえ、大企業や公務員にならなくても安心して働ける社会にすることの方が重要なのではないのかと思うのだが…

・負の連鎖を断ち切るには

そう思ったきっかけは、先ほど登場した「圧縮成長」という言葉を以前別の本で目にしたことがあるからである。

その本がこちらであり、そこにこんなことが書いてあった。

日本は1950年頃から核家族化、性別役割分業型の家族、平均2人兄弟という、欧米が産業革命後の数百年かけてゆっくり進んだプロセスをわずか10年で達成し、他の東アジアの国にも似たような動きがあり、韓国の社会学者チャン・キョンスプ氏は欧米に比べて急速に進んだ東アジアの近代化を「圧縮された近代」という言葉で表現した。

ここからは私の推測なのだが、韓国も日本同様に欧米に比べて急速に近代化したが、今は共に未婚率の増加や少子化に苦しんでいる。

それはこの「圧縮された近代」が原因なのではないか?

事実として、日本も韓国も欧米に比べて急速に近代化して社会を成長させた歴史がある。

自分たちは欧米よりも優れているという自信さえ持っているのかもしれない。

そのため、社会が変化しても、たかだか数十年の間しか機能しなかったモデルを「伝統」と崇め続け、それ以外の社会の在り方を認めない。

その結果、結婚そのものが困難になり、少子化や孤独死が社会問題になっていても、未だにかつての成功体験に固執し続ける。

今の韓国の競争社会はグローバル化や新自由主義の結果というよりも、こうした圧縮された近代に固執した社会のなれの果てではないのだろうか?

彼らが無限競争地獄を終わらせるために必要なのは、競争に打ち勝つ力でも、全員に安定をもたらす伝統に立ち返ることでもなく、過去の因縁を断ち、他人の目を気にせず生きる勇気ではないかと私は思う。

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