自動車免許を自主返納できる高齢者は「立派な人たち」ではなく「恵まれた人たち」である

・地方在住タイ人の生活

私たちが外国の名前を聞いてイメージするのはほとんどが首都、あるいは都市部である。

「中国」と聞いたら北京や上海を、「韓国」と聞いたらソウルを思い浮かべる。

しかし、香港やシンガポールのような国はともかく、実際は地方に住んでいる人の方が圧倒的に多い。

さて、これは地方在住のタイ人とやり取りをした時のお話である。

タイの首都はバンコクだが、彼は初めて聞く名前の街に住んでいた。

試しにグーグルで街の名前を検索すると、私の出身地よりもはるかに緑に囲まれた田舎の写真が出てきた。

その写真を見た私は思わず彼に質問した。

   普段の生活では車が必要ですか?

「はい。車がないと生活できません。」

   あなたの家族も車を運転するのですか?

「はい。両親も車を運転します。ここでは車がないと仕事も買い物もできません。」

確かに、そこは車がないと生活できない場所のように見えた。

しかし、その後、彼はこんなことを言った。

だけど、祖父母は運転しません。

昔は運転していたけど、二人とも70歳を過ぎているので、車の運転は引退しました。

だから、二人が出かける時は私か両親が運転します。

・日本の高齢ドライバー

それを聞いた私は思わず日本の高齢ドライバーのことが頭に浮かんだ。

日本では高齢ドライバーの引き起こす事故が多発している。

そのたびに「年寄りは免許を自主返納しろ!!」という意見が出てくる。

たしかに7080を超えると体力は衰える。

そんな人たちが車を運転するのは危険極まりない。

とはいうものの、免許を自主返納できる人は一部の恵まれた人たちに過ぎないと思う。

たとえば住まい。

東京のような大都市ではそもそも車など必要ない。

一方で、地方の生活には車が欠かせないことは事実である。

そんな生活をしている人に

「社会のために免許を返納しろ!!」

「この暴走老人が!!」

などとは気安く言えない。

・地方在住でも車を運転する必要がない人はいる

しかし、地方在住でも車の運転が必要ない人もいる。

たとえば、先述のタイ人の彼のように支えてくれる家族がいる人たちは車の運転など必要ない。

病院や買い物に行きたい時は家族に頼めばいいのだから。

思えば、私の実家もそうである。

私は西日本の田舎の出身で、生活のためには車が欠かせない地域に住んでいた。

だが、私の祖母は車の運転をしない。

そもそも免許を取得したことすらない。

だから、テレビや新聞が報道する高齢ドライバーによる事故のニュースを他人事として見ることができる。

しかし、これは私の祖母が慎ましい生活をしているということを意味しない。

彼女が車を運転する必要がない理由は、車を使いたい時は私の両親(+同居していた時の私)に運転を頼むことができるからである。

言い換えれば、家族の支えがあるから、そもそも車を運転する必要がないだけである。

ちなみに、仕事は10年近く前に引退して、今は悠々自適な生活をしている。

これは、車を運転しなければ生活が成り立たない高齢者よりも恵まれているというだけであって、車の運転をしないことが偉いというわけではない。

・高齢ドライバーは実は弱者なのではないのか?

そもそも、農業や自営業として働く高齢者のように車がないと仕事すらできない人もいる。

そのような人たちは年金だけで生活できないから老体に鞭打って仕事を続けているわけであり、家族の支えもあてに出来ないことが多い。

私の知る限り、車の運転が必要ない高齢者は「交通の便に恵まれているか」、もしくは「家族に恵まれているか」のどちらかだと思う。

ちなみに、先ほどのタイ人の彼は私にこんなことを言った。

「家族なのだから、祖父母のために車の運転をすることは当たり前」

高齢ドライバーが引き起こした事故のニュースを見聞きするたびに、加害者となってしまった高齢者は「(加害者責任はあるにせよ)住まいや家族に恵まれなかった人たちなのではないのか?」という思いに耽ってしまう。