熱意は結果を保証しない②:立派な社会人なんて案外誰も求めていない

前回は「自分は立派な社会人でなければならい」という熱意があるのだけれども、その自意識に固執した結果、本当に大切なものを守ることができていない人の話をした。

今日も同じような話をしたい。

・「プライドを捨ててでも仕事を続けろ」と説教している人は本当にそれができるのか?

前回紹介したような男たちが好む説教で

「生活のためにはプライドをかなぐり捨てでも今の仕事を続けろ!!」

「それが生きるということだ!!」

というものがある。

だが、そんな説教をしている人たちが、本当にこれを実行できるのかは疑わしいと思う。

なぜなら、彼らが「プライドを傷つけられる」という言葉で想像しているのは「客や上司のような強者から罵倒されること」でしかなく、

その考えには

「他人から優しくされる場合でもプライドが脅かされることがある」

という視点が欠けているからである。

「男は家族の生活を守るためにプライドを捨ててでもとにかく働け!!」的なマッチョな信仰心を持っている男たちは「誰の力も借りずに自立している姿」を理想としている。

逆の視点から考えてみると、たとえ職場の人がみんな良い人で、いつも自分を支えてくれる場合であっても、「自分ひとりで仕事が完結できずに、常に周りの人の支えを必要とする」という事実にはプライドが傷つけられてしまう。

というよりも、「立派な社会人でなければ!!」という思いが強いほど、それに比例して、人の助けを借りることでプライドが脅かされることになる。

ちなみに、自分を支えてくれる人が女性や年下の人である場合はなおさらである。

彼らのように「自立した強い男性労働者」のイメージに固執する人はこの屈辱的な(と自分たちが思い込んでいる)状況に耐えて会社へ行くことができるのか?

①:自分は一人前の社会人で強い男であるべきだから何があっても会社へ通い続ける。

②:だけど、職場では他人の助けがないと満足に仕事ができないダメな男である。

これは厳しいジレンマですなwwww

余計なお世話だが、そんなことを考えてしまう。

と、人のことを散々コケにしているのだが、実は私も同じような考えに陥って、大きな失敗を犯してしまったことがある。

・事務の仕事は全然楽じゃない?

これは私が東京で初めて事務の仕事に就いた時の話である。

私は派遣社員としてイベント企画会社で働くことになったのだが、覚えることがとても多く、まだ最初に教わったことも正しく理解する前に次から次へと新しいことを教えられた。

そして、一人ひとりが専属で自分のイベントを受け持つため責任が重い仕事であった

しかもマネージャーのX氏は自分のことは棚に上げて他人の責任にはやたらと厳しく、業務連絡は証拠を残すために必ずメールで行い、「この発言は誰がいつした」のかを明確にするために、そのメールのやり取りをご丁寧にプリントアウトして、いたるところに証拠として張り付けている粘着質の塊のような人物だった。

その上、担当しているイベントの外国人のスタッフは、業務連絡の返事一つまともに返してくれない。

そして、そんな彼らを統制できないことをマネージャーのX氏から執拗に叩かれる。

実際に私が就労する前、それから同時期に入社した人の多くが「それが派遣の仕事なのか?」と思って何人も短期離職していた。

私もこの職場で働き出してから、ストレスの影響か過敏性腸炎を患うようになった。

事務職は常に人気の職業である。

事務職には

・冷暖房完備で綺麗なオフィスで快適に働く

・土日祝日は休日

・仕事中は自由に飲み物やお菓子を口にできる

・危険な業務は一切なし

・体への負担も一切なし

・単純労働に比べて時給が高い

・仕事場やトイレの掃除のような雑務は業者へ外部委託

・最終確認はすべて正社員が行う

というようなイメージがある。

要するに「楽だが給料は高い仕事」である。

私も御多分に漏れず、こんな憧れを抱いていたのだが、そんな甘い幻想はすぐに吹っ飛んだ。

というわけで、二度目の更新で契約を終えるつもりだった。

・これ以上、何も覚える必要はないから…

私が退職の意思を派遣会社に伝えた数日後、派遣先の担当者と面談することになった。

私は

「自分の能力ではこの業務についていく自信がない」

と言って退職を申し出て、この理由は派遣会社を通して派遣先にも伝わったようだった。

正直に言って、私は

これ以上、この仕事は続けられねえ!!

と思って退職を決意した。

ここで派遣先が

「ああ~そうですか。今までご苦労さん」

「契約は〇〇日までだっけ?」

「せいぜい、それまではしっかりと頑張ってね」

とでも言って、あっさりと退職することになったのなら、何でもない「それは自分に合わない仕事だった」というだけで済んだのかもしれないのだが、この話にはこんな続きがある。

先ほど述べた通り、その時期は退職者が続出した後であり、会社の方は育児休暇に入っている正社員が復帰する時(私が退職を表明した半年後)までは何とか人員を確保したいようだった。

というわけで、数日後、私の教育係の人と再度面談することになり、ろくに仕事ができない私であっても離職を食い止めるべく、こんな提案をされた。

・「仕事が難しくて責任が重い」というのであれば、担当業務の指示はこれまで通り、教育担当者がすべて出す。

・まだ教えていない業務も、今まで通り別の人に手伝ってもらうから、これ以上、何も新しいことを覚える必要はない。

・担当の責任者にならなくてもいい。

・今やっている仕事をする以外は他の人の手伝いをすればいい。

だから、仕事を続けてほしい。

今になって思えば(というようも、当時でさえ)、これはかなりの好条件であった。

肩書こそ「〇〇担当スタッフ」から「〇〇の一部担当兼部署内の雑用(パシリ)」に降格するが、それでも時給は他の派遣スタッフと同じ1X00円(具体的な金額は明かせないが、地元でフリーターをやっていた時の倍以上の額である)なのだから、かなりの儲けものである。

「仕事に生きがいなんていらない。所詮は飯の種なのだから、自分一人が食えるだけの稼ぎが得られれば十分」

と、このブログでも宣言してきた私(もちろん、職場ではこんなこと言わないよ)にとっては、この上ない好条件である。

損得勘定を考えればこの提案を受け入れない手はない。

……のだが、

妙な感情が決断の邪魔をした。

“他の人は難しい仕事を一生懸命やっているのに、自分は同じ時給で簡単な仕事しかしないのは申し訳ない…”

結局、私は当初の予定通り、契約を終了することになった。

・「力不足」は言い訳のつもりだったが…

退職した後の私は時間を置かずに次の仕事に就いたのだが、そこは通勤に1時間半かかり、屋外の肉体労働で、定時で仕事が終わった後に掃除をするため実質1015分のタダ働きのある職場だったので、労働条件はかなり低下した。

(派遣社員なのに)会社の忠実な犬である嫌な同僚もいた。

そこで、私は以前の職場がいかに恵まれていたのかを知った。

仕事こそ楽ではなかったものの、先ほど挙げた事務のいいイメージはすべて事実だったし、勤務場所も自宅の最寄り駅から4駅しか離れていないエリアで、職場の人も些細なこだわりを理解してもらえないとすぐに大声を上げるマネージャーのX氏を除いて、分からないことを質問したら、一切嫌な顔をせずに答えてくれる良い人たちばかりだった。

それに加えて、勤務最終日のある出来事で、その会社のいい面を初めて知ることになった。(詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい)

ムシのいい話だが、私は退職したことを後悔した。

どうして、私はあの時、あんないい条件を断ってしまったのか?

仕事が大変で自分が務めるのは難しいと思っていたことは事実だが、向こうは「これ以上覚えなくてもいいから残ってほしい」と言ってくれた。

しかし、妙なこだわりが邪魔をしてその提案を受け入れることができなかった。

今になって思うと「同じ時給で働いている他の人に悪い…」なんて理由は後付けの言い訳だった。

下っ端として班内のパシリになることに抵抗はなかったのだが、他の人は専任スタッフとして一人で仕事をこなしているのに、自分は誰かに守ってもらえないと仕事ができない弱い人間であるかのような気がした。

そもそも、仕事ができない自分を受け入れること自体が嫌だった。

私もこれまで散々コケにしてきた「勘違い自立した社会人」と同じく、「給料分の仕事をしなければ、職場では受け入れてもらえない」という立派な会社員像に囚われていた。

ところが、私の退職を知った同僚たちからは

「仕事がつらいなら、もっと早く相談して欲しかった」

「真面目に働いてくれていたので、とても残念…」

「この仕事が合わないなら、別の部署に移ってでも残って欲しかった」

と言われた。

この言葉が本心なら、職場の人たちは(自分の責任を否認するために、やたらと「責任」という言葉を強調するマネージャーのX氏は別かもしれないが)誰も私に対して「立派に仕事をする」典型的な会社員像なんか求めておらず、「仕事を完璧にしなくてはいけない!!」というのは完全に私の独りよがりだった。

私に仕事ができない自分を受け入れて、人の力を借りてでも生きていこうとする勇気があれば退職する必要はなく、それができなかったせいで会社の人たちにも迷惑をかけてしまった。

皮肉なことだが、退職をスムーズにするために「能力不足」などという言葉を言い訳に使ったものの、その職場では本当に「自分の弱さ」を知ることになった。

・自分の弱さを知ったことで見えたもの

打消し線だらけのマネージャーを見て気づいた人もいるだろうが、この記事の最初に書いた同い年の女性社員との会話はこの職場での出来事である。

その記事には書かなかったが、彼女は私にこんなことを言った。

・入社当初はある業務がとても嫌だったこと。

・勤務開始から半年以上経っても未だに分からないことがあるため、よくマネージャーX氏に怒られること。

彼女が未だに分からないことが多いというのは本当のようで、電話対応で分からないことを聞かれた時は、頻繁に私の隣の席の社員の所まで走って確認に来ていた。

しかし、彼女の姿を思い出すと、彼女のように仕事の悩みを他人に打ち明けたり、人の助けを借りてでも前に進もうとする人こそが本当に強い人なのだと改めて思う。

私はこのブログで何度も、高い自意識を持ってエラそうなことを言っている人は、実のところ、大した人間ではないのだから、そんな人に言われたことを真に受けずに「できない自分をしっかりと受け入れよう」、「職場では積極的に人の力を借りよう」と訴えてきた。

それはこの時の経験から得た教訓を読者のみなさんに伝えて、私と同じ失敗をしてもらいたくないからである。

ちなみに、私は日本型雇用信者(自称:社会人)が嫌いなのだが、彼らと無理やり反対の主張を通すために「転職先なんていくらでもあるから、嫌な仕事はどんどん辞めよう!!」と退職を煽ることはしない。

その理由はこの記事で書いた通り、「政治的主張をすることと他人へのアドバイスを混同してはいけない」という考えによるものだが、この時のように退職して大きく後悔した経験があることも大きい。

「プライドを捨ててでも仕事を続けろ!!」

たしかにこの言葉は正しい時もある。

ただし、それは「辛いことに耐える」というだけでなく、「仕事ができない自分を認めて、堂々と他人の力を借りる大切さ」も同時に伝えるべきだと思う。

次回へ続く