昨年の同日に昨年犯した最も大きな過ちの反省会を行った。
というわけで、今年も「懺悔します2020」と称して同様の企画を行うつもりだった。
しかし、昨年ほど大きな後悔も反省も心当たりがない。(ひょっとして、私が気づいていないだけ?)
そのため、今日は私が「昨年からどう変わったのか?」、「今はどのような考えで生きているのか?」についての話をしたいと思う。
・あれから1年
昨年の年末に、私がこの社会で「フツー」と考えられている生き方を完全に放棄するに至った過程についての記事を書いた。
経緯についてはリンク先の記事を読んでもらいたいが、何を決心したのかと言えば
・自分には安定した職に就いて、所帯を持つことなどできない「社会の外道」であると自覚する
・「フツー」の生き方を恨み、憎み、絶対に服従などしない
・仕事でつながっている人間は絶対に信じない
・消費は最小限に抑える
・仲間も理解者も要らない
・プライベートで付き合う友人は作らない
・趣味やプライベートを楽しむ感情は殺す
・孤独に生きて、一人で死ぬ
・苦しくなった時は憎しみを燃やして生きる
この内容を公表したのがおよそ1年前であるが、プロフィールや今年に投稿した記事に時折書いた通り、最近は(厳密に言えば、その記事を書いた時からすでに揺れ動いていたが)そのような考えが徐々に軟化している。
しかし、変わっていないこともある。
以前の記事で書いたコロナの影響を全く受けなかった休日の過ごし方や、日曜日の過ごし方がそれに当たる。
今日はあの時の決心から何が変わって、何が変わらないのかについて詳しく説明していきたい。
・雪解けと後悔
私が「フツー」の生き方を拒絶して、孤独に生きていくと決意したのは5年以上前であり、20代半ばから後半にかけては上記のような考えに基づき、サイレントテロリストさながらの生き方をしてきた。
仕事上の付き合いで、プライベートな話をされた時などはどことなく心苦しさがあったが、それでも「これが自分の選んだ道」だと納得していた。
昨年最も後悔した時も、リアルタイムでは一切の迷いなどなかった。
いつかはそんな日が来ることなど「フツー」の人生を捨てると決めた時に覚悟していたことだった。
その考えが変化したきっかけは、前回の記事で書いたように結婚に関する本を読んだからである。
その中で私が特に影響を受けたのは以下の点である。
・現代で当たり前のように語られている「結婚」とは近代になって生まれたもので、日本の伝統でもなければ、生物として正しい状態でもない。
・その結婚は特定の社会状況でのみ繁栄するものであって、現代はそれに適した状況ではなくなったため、誰もがそのような結婚をすることができなくなった。
・にもかかわらず、頑なに前時代に標準的だった特定の「結婚」の形しか認めない。
・その結果、結婚そのものが困難な社会になっている。
・その一方で、社会の変化を認めず、以前の社会状況を念頭に置いて、結婚を義務のように考え、他人にプレッシャーをかける困った人がいる。
結婚だけでなく、消費者にとっては天国だが、労働者の安定が損なわれる「ニューエコノミー」というキーワードが出てきたことも大きかった。
自分たちは「ニューエコノミー」の恩恵を存分に享受しながら、他人には「伝統」的な振る舞いを求めることは「暴力」と呼ぶに値する程の図々しさである。
私は(2014年以前から)結婚に全く興味がなかったが、今の自分が置かれている状況と「結婚困難社会」によって苦しんでいる人の状況は似ているなと感じた。
そして、結婚できないことに悩んでいる人も私と同じ立場にいて、そのような人たちは決して社会の少数派ではないのではないかと思えた。
今の日本が陥っている「結婚困難社会」とは別の道を歩んだのが「結婚不要社会」である。
一人の相手に対して経済性も親密性もすべてを満たす「伝統的」な結婚はできなくても、各々が自分にできる範囲で自分に合った家族を作ればいい。
それを知った時、「私がやるべきことはこれではないのか?」と思えた。
別に「結婚をしたい」とか「恋人を作りたい」と言っているわけではなく、「従来の(伝統的な)生き方」などできなくとも、自分ができることを精一杯やって大切な人たちと共に生きればいいと思えたのである。
たとえ、自称社会人が考える「フツー」の生き方などできなくとも、「外道」を自認して、他人の一切を拒絶し、人生を諦める必要などなかった。
目指すべき方向が定まって、(多少は)人間らしい感情を取り戻したり、他人に対しても多少は寛容な気持ちを持つことが出来た。
これまで「時間と金の無駄」としか思えなかった、催し物や季節行事にも多少は意味があるように思えるようになった。
このように、良い方へ変化したこともあるが、今までの行いを後悔することにもなった。
ここ数年の人間らしい思い出がないことは自業自得であるにせよ、東京へ出てきて最初に働いた職場で、独身中年女性の女子会に参加して、「フツー」の道から外れても生き生きとしている彼女たちの姿を目の当たりにしたにもかかわらず、なぜその時に気付けなかったのか…
退職前の同僚から「もっと一緒にいたかった」と、意味深な言い寄られ方をされた時に、なぜ「あの人も自分と同じ苦しみを抱えているのでは?」と思うことができなかったのか…
なぜ、恋人にも遊び仲間にもなれなくとも、彼女の味方であり続ける方法を探そうとしなかったのか…
彼女の話は極端であるにせよ、よくよく思い返せば、同じように他人との間に壁を作って、せっかくの親切心や厚意を拒絶したことは一度や二度ではなかった。
「これが本当に私のやりたかったことなのか?」
それに気づいたのはあまりにも多くの人を傷つけた後だった。
・敵だと思っていた相手と共に仕事をすることで気付いたこと
「フツー」の生き方を恨んで生きていくことに疑問を持つきっかけがもう一つあった。
今年になって、それなりに規模が大きく、正社員は年功序列や終身雇用、全国転勤がある典型的な日本企業、つまり、これまで毛嫌いして「絶対にこんな生き方をしたくない!!」と思っていた人たちと働くことになった。
そこで感じたのは、彼らも所詮は雇われの身であり、別に創業者のように野心に満ちて、人を蹴落としてでも自分の地位を築こうとしているのではなく、器もそんなに大きい人たちではないということだった。(こんなことを書いているのが同僚にバレたらちょっとヤバいが…)
そんな人たちは、政治的な思想に基づいて、既得権を独占している悪人ではないのではないか?
私が彼らを見て、行き場のない寂しさを感じたのは、彼らが自分が想像していたような極悪人ではなかったということだけではなく、「今まで私は何に対して憎しみを燃やし生きてきたのか?」虚しさからでもあった。
私が憎むべきは「フツー」の生き方を強要して、そこから外れた人間を「外道」とみなす人間であって、「フツー」の人生を送っている人たちではなかった。
・変わらないこと、これからのこと
多少は人間らしい感情を取り戻したわけだが、自分の志を変えるだけでは解消できない社会の問題もある。
たとえ、「フツー」の人に対する敵意が消滅しても、頑なに「フツー」の生き方しか認めない自称社会人を許すことは別問題である。
この社会で「フツー」でなくても気兼ねなく生きていけるとは到底言えない。
私は彼らの所業を許すつもりも、そんな生き方に迎合するつもりもない。
また、「安い・早い・便利」といった消費者としての快楽に溺れた愚民の問題もある。
小売業界や飲食業界は傲慢な消費者の快楽のためにどれだけの人が犠牲になっているのか?(しかも、それは自称社会人が崇拝する「昭和的な安定」の破壊でもある)
私はそんな人の生き血を吸って、屍を踏み台にして得る消費者としての快楽をふんぞり返って謳歌するつもりはない。
この2つ(タイヤの両輪だから、結局は1つなのかもしれないが)を憎むことはこれからも続けていくつもりである。
今でも、経済的に不安定で、「仲間」と呼べるほどの親しい相手もいない生活を生き抜くことができたのは、「フツー」の人生を捨てたからだと思っている。
だが、そのことで失ってしまったものもあった。
これから先は失ったものを少しでも取り戻すことができるように生きていくつもりである。
…とはいっても、そう簡単にこれまでの生活習慣を変えることはできそうにない。
自分から積極的に動くことはないが、先ずは他人からの誘いはなるべく受けるようにすることから始めることにする。
ブログの読者から送られてきたメールの返事もそうである。
以前であれば、業務連絡や記事のネタになりそうな相談くらいにしか返事はしなかったが、たわいもない話もできるようにはなった。
来年も、このスタンスで生きていこうと思っている。