ブログ買取のオファーを断った理由

今日は1229日。

毎年、この時期には1年のことを振り返ってきた。

今年(2021年)も同様に、1年の最も大きな出来事と今後の抱負を語ろうと思う。

私にとって今年1番のできごと。

それは・・・

このブログに買い取りのオファーが来た

ことである。

今日はその時の話をしたいと思う。

M&A

あれは今年の夏頃だった。

ブログ管理用のメールボックスを開くと一通のメールが届いていた。

タイトルには「M&A」という聞き慣れない名前が入っていたため、どこかの会社の営業メールだろうと思ったが、特にメールが溜まっていたわけでもなかったため、念のために開封して中身に目を通すことにした。

本文は「【はやかわブログ 】様」から始まっていたため、どうやら一斉送信されたものではなさそうである。

最初は、その会社が一部上場企業で、「メディアM&A」という事業を展開しているという説明だったが、次の文を読んだ時は衝撃を受けた。

是非、貴メディアの買収についてご提案させていただけないかと思いご連絡差し上げた次第です。

え!?

このブログの買収!?

これまでに何度も触れた通り、このブログは主要テーマが定まっていない。

当初はネットで知り合った外国人について話をしてきたが、次第にネタ切れとなり、仕事や社会など日常生活、さらには私の個人史など多方面へ拡大することになった。

書き手である私ですら、読者層を全く想像できない。

そんなブログにお金を払って買い取る価値などあるのだろうか?

そう疑ったものの、買取の話を聞いた時は率直に嬉しかった。

aazonアフィリエイトの審査に落ち続けて早2年。

ネットビジネスには全く興味ないが、「いつの日か、人から評価されて、あの時審査で落とした連中を見返してやる!!」という気持ちは常にあったため、少しは目標が達成できた気がした。

それと同時にこのブログの潮時のことも少し考えた。

これまで気の向くままに記事を書いてきた結果、本数が200を超えた辺りから、過去の記事について思い出せなくなることも増えてきた。

その結果、最終確認の段階で、内容の一部が関連記事と重複していることに気付き、公開直前で内容を大幅に修正せざるを得なくなったこともある。

このままではブログの質が下がることも懸念される。

それだったら、売却して綺麗な形のまま終える方が自分のためにも、読者のためにも賢明ではないだろうか…

・ブログと一緒に手放すもの

このブログはわずかな広告収入があるものの、食っていけるだけの収益があるわけではない。

また、記事の作成や、下調べなどには、日々それなりの時間を割いているため、お金だけでなく、時間も消費していることになる。

つまり、ブログの業績はお金の面でも、時間の面でも「赤字」と言える。

そんな不採算部門を買い取ってくれるとは何とも有難い話ではないか?

しかも、私の方は「ブログを一から作り、販売したことがある」という実績を作ることができる。

そうすることで、このブログの役目を終えることが、もっとも美しい終わり方ではないだろうか…

そろそろ私も次のステップへ移る時なのかもしれない。

そんな考えも脳裏を過った。

だが、結局、詳しい話を聞かず、申し出の翌日には断りの連絡を入れることにした。

今になって思うと、彼らが私のブログを買い取るに値すると判断した理由や、買い取り希望価格くらいは聞いておくべきだったと、若干の後悔はある。

しかし、私は交渉が得意ではないし、専門用語も熟知していないので、気づいたら相手のペースに乗せられて、断れなくなる危険もあったため、これでよかったと思っている。

さて、ここからは私がブログの売却を断った理由について話をさせてもらいたい。

詳しい話を聞く前にお断りした理由、それは

昨日までの当たり前だった日々を失ってしまう気がした

からである。

買い取りの打診があった時点で、ブログを始めて2年半が経過していた。

その間、いろいろなことがあった。

アフィリエイト審査の件もそうだが、最初は思い通りにいかないことの方が圧倒的に多かった。

それでも、気づいた時には、私の中に代えがたいものが生まれていた。

ブログを売却して、所有権を失えば、それまでに書き上げたおよそ250本の記事だけでなく、それまでの思い出も遠い世界へ行ってしまう気がした。

・ブログを書くことで成長できた自分

ブログを失いたくない理由は思い出以外にも2つある。

ひとつは自身の成長。

ブログを書くことで、自分自身が成長できたと思っている。

これはブログを書き始めたことで、文章を書くことが上手くなったとか、物事を簡潔に説明できるようになったという話ではない。

自分の考えを他人に発信している以上、普段の生活もそれに相応しい振る舞いをしなければいけない。

このシリーズで取り上げた自分に甘い人たちによる迷惑行為の自制はもちろんのこと、この記事に書いた「少しだけ強い個人」も実行することができて、自身の生活に張りが出てきた。

仕事に対する姿勢も、昨年の年末に書いた「ブログを書くことで自分の中に生まれた言葉」によって、より強固なものになった。

カッコいい話だけではなく、自らの過ちを書き留めて、同じ過ちを繰り返さないことにもつながった。

以前、そこまで親しい仲ではなかった同僚と別れる時に感謝の気持ちを伝えた話をしたことがある。

職場では無口で、自分の気持ちを言葉で伝えることが得意ではない私が、こんなことをするのは柄ではないが、あえてそうしたのは、この記事で取り上げた「人は片想いの幻想でも、『その人が自分の味方』だと思うことができれば、勇気をもられる」という教訓と、保身のために、その大切さを教えてくれた同僚(仮名:A子)の心の拠り所をぶち壊してしまった時の反省から、「黙って去ることで、彼女たちの想いを壊したくない」と思ったためである。

そのきっかけがブログを書くことで生まれたわけではないが、記事を書くために考えをまとめたことで、何をすべきなのかをハッキリと認識することができた。

もしも、ブログを書かなかったら、自分が何をやるべきかを明確化できず、言葉に出来ない漠然としたモヤモヤ感が残りつつも、同じことを繰り返していたかもしれない。

ブログを失ってしまうと、このような自身の成長も止まってしまう気がしたのである。

・何物にも代えがたいもの

ブログの所有権を失うことで起こりうるもう一つの問題は、人とのつながりを失うことである。

このブログでは、過去に知り合った人を何人も紹介してきた。

生き別れになった元同居人。

留学先で知り合った仲間。

多数の元同僚。

彼らは私にとって大切な人たちだが、現在は連絡を取ることができない。

私がブログで彼らのことを取り上げてきたのは、万が一にも、彼らが私の記事を読んで連絡してくることを期待していたからである。

しかし、所有権を失ってしまったら、彼らに返信することができないため、わずかな再会の可能性すら永遠になくなってしまう。

彼らがこのブログを見つけて、連絡してくることなど現実的に起こり得ないと分かっていたが、それでも最後の砦は失いたくなかった。

面識はないものの、このブログを読んで実際に連絡してきた読者もいた。

ブログを辞めることを検討していた時に「辞めないで」と言ってくれた人。

マッチングアプリで結婚相手を探したいから「オンラインでの付き合い方を教えてほしい」と相談してきた人。

「他の人には同じ後悔をしてほしくない」という動機から、苦しい過去を告白してくれた人。

彼らは皆、私を信じて、「自分の味方になってくれる」と思ってメールを送ってくれたのだと思う。

ブログ売却後に、彼らが以前と同じようにメールを送ったとする。

そこで、「このブログはもう所有者が変わってしまったので、早川鉄男には連絡できません」などと聞かされたら一体どんな気持ちになるだろうか?

直にやり取りをした読者だけではない。

彼らのように直に連絡をすることはなくても、私のことを「自分の味方」だと思ってブログを読んでくれている人も大勢いると思う。(数としてはそちらの方が多数派だろう)

そんな人たちが、私が「目先の金のためにブログを手放した」と知ったら、どんなに失望し、落胆するだろうか?

このブログが誰かの命を救ったり、人生を好転させることはできないかもしれないが、誰かのささやかな心の拠り所くらいにはなっているかもしれない。

もちろん、彼らがブログを通して認識する「早川鉄男」という存在は、舞台用に整えられた私の一面であり、日常生活の私にはかなりいい加減な所もたくさんある。

言い換えれば、彼らが信じる「早川鉄男」は幻の存在に過ぎない。

だが、たとえ幻でも、私は彼らが信じて夢を託した「早川鉄男」であり続けたい。

読者の心に訴える記事を書くことだけでなく、その志を守ることも私にとって大切な「読者との絆」だと思っている。

アクセス数が低下しても、自信をもって書いた記事が検索エンジンからコケにされても、その想いだけで、自分を奮い立たせることができる。

ブログを通して生まれた読者との絆。

これは目先のお金や名声よりも大切で、かけがえのないものなのである。

・未来への目標

それまで何気ない生活を送っていたが、「ブログを買いたい」という突然の申し出のおかげで、今の私にとって何が大切なのかを改めて考えることができた。

ブログを書くことで生まれた「読者との絆」と「自身の成長」。

この2つが私にとって大きな財産になっていた。

「得より徳を積む」なんて偉そうなことを言うつもりはないが、この2つは、「フツー」の人生を逸脱し、規範も確かな道標もない私にとって、もっとも大切なものだと思っている。

「読者との絆」と「自身の成長」というのは独立した次元に存在しているのではなく、密接に連動している気がする。

読者との絆があるから、自分もより成長できる。

自分が成長するから、読者との絆もより深まる。

読者との絆を大切にしながら、自分が成長することが、一人でも多くの読者に夢を与えることにつながると思う。

今より、少しでも前に進み、少しでも強い人間になる。

恩師から成長を認めてもらえるように。

地元の友人の希望を背負えるように。

あの人に顔向けできるように。

そんな志を持って、日々邁進することが、来年だけなく、その先に続く未来への目標である。

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