新入社員へ贈りたい3つの言葉2020年編②:他人の責任をしつこく糾弾する人間に責任感があるとは限らない

今日も昨日に続いて新入社員に贈りたい3つの言葉2020年編をお送りする。

今日のテーマはこちら

他人の責任をしつこく糾弾する人間に責任感があるとは限らない

働き始めると「責任」という言葉を耳にする機会が増えてくる。

学生時代は自分のことだけを考えていればよかったが、仕事中は常に企業組織の一員として責任のある行動を心掛けなくてはならない。

「社会人」には常に「責任」が付いてまわる。

と言われているが、私は基本的に「責任のある行動を取ること」と「他人の責任を(しつこく)糾弾すること」は全く別のことだと思っている。

というよりも、私がこれまで働いてきた経験上、二言目には「責任!」「責任!」といって他人の失敗をしつこく糾弾する人間に責任感なんてものがあったことなど一度もない。

無責任で保身に走る人間ほど「責任」という言葉を好むのである

今日はそんな話をしたい。

・私のミスはあんたのミス

これは私が地元の工場で働いていた時の話である。

その職場は工場長が病気を理由に休職して以降、唯一の正社員だった女性(仮名「ボス」)による派閥支配が行われ、都合の悪いことはすべて派閥の非構成員に押し付けられているような職場だった。

これは私がそんな職場に見切りをつけることになった出来事である。

その職場では材料を下処理する際に、形状に合わせて2種類の機械を用いるため、AB2つのラインがあった。

ある時、私がAラインを担当していると、Bラインを担当するはずだったベテランのパートが体調不良で休んだため、彼に代わってボスがBラインに入ることになった。

その工程では加工が済んだ項目は指示書にボールペンでチェックを入れて、すべての作業漏れがないかを確認することになっていた。

しかし、この作業をめったに行わないボスはその確認をすっかり忘れていた。(この確認作業はボスが提案したものだったはずだが…)

普段はラインAB共に同じ材料を使っているため、どちらかが確認を怠っても、もう片方が気づいてすぐにカバーできるのだが、その時は運悪くBラインでしか使用しない物があったため、作業漏れは箱詰めの段階まで発見されなかった。

その時はすでに加工用のラインの片づけが済んでいたため、もう一度、機械を組み立てるところから始めることになり、他の人も余分な仕事をするハメになった。

これは誰が見てもボスの責任である。

しかしボスは怒り狂って私に叫んだ。

「どうして自分がやったものしかチェックしていないの!?」

「『自分の仕事は終わったからもういいや』という気持ちではなく、ちゃんと周りの仕事にも「責任」を持って!!」

は??

自分のミスを人のせいにしている人間が、どの口から「責任」なんて言葉を出しているのだろうか?

結局ボスは私に対しても、他の従業員に対しても、自分の非を認めて謝罪することはなかった。

声を大にして他人の責任を追及したがる人間とは大抵こんなもんである。

・私じゃない!!

次は東京で事務の仕事をしていた時の話。

私は従業員が出張の際に使用する切符やホテル予約の管理を任されていたが、私がやるのは何日に誰がどこへ行くのかをまとめて、手元に届いた切符に間違いがないかを確認するだけで、切符の手配や予約はマネージャーのX氏(仮名、この記事にも登場)が行っていた。

私がこの業務を担当し始めた時、従業員の一人が新幹線で西へ出張することになった。

彼は数ヶ月前に引っ越したため、自宅から新幹線で西へ向かう際の最寄り駅が東京から新横浜へ変わっていたのだが、前任者が手配表の修正を忘れていたため、次の出張も東京駅からの切符が購入されていた。

それに気づいた私はマネージャーX氏に切符の変更を要請した。

「すいません。マネージャー。今度の〇〇さんの出張の件ですけど、新幹線の切符が新横浜からでなく東京発になっているので切符を変更してもらえませんか?」

すると、彼はなぜか不機嫌になった。

「はあ??」

「君は『私が間違えた』と言っているの!?」

「この私にそんなことを言うのが、どういうことか分かってるよねえ?」

と、まるで時代劇に出てくる悪代官か闇組織の統領のような圧力をかけてきた。

いや、こっちの方が「はあ??」だし…

私は〇〇さんの最寄り駅が✖✖だから、新幹線に乗る際の最寄り駅は新横浜だけど、この切符は東京からになっていることをハッキリと伝えた。

すると彼は切符を取る時に使用した交通手配表を私の机に叩きつけて、

「この手配表は〇〇さんの最寄り駅が東京になっているじゃないか!!」

「だから、これは私の責任じゃない!!」

と大声で怒鳴りだした。

別にあんたが間違えたとか言ってないし…

つーか、あんたは切符手配の担当なのだから、誰が間違えたとか関係なく、それを買い直すのも仕事じゃないのか?

幸い、前任者が申請日を書いていてくれたおかげで、その日に入社していなかった私は無罪放免となったが、その後も彼は「これを間違えて私に提出したのは誰だ!?」「責任は誰にある!?」と言いながら、一人で大騒ぎしていた。

「間違えたのは自分じゃない!!」と周りに知ってもらいたいだけのパフォーマンスにしか見えない犯人捜し(ごっこ)である。

間違えた人はすでに退職していることは知っているはずなのにねえ。

そこまでして、自分が間違えたと思われたくないのか…

そのような自分が間違えたと思われたくないから、必死に犯人捜しをする人の行動を「責任感がある」って言うのかな

違いますね。

正解は「見栄を張るです。

・不親切な人が「協調性」という言葉を好む怪

責任を取りたくない人間ほど他人の責任をしつこく糾弾したがることはお分かりいただいたと思う。

同じようなものに「協調性」という言葉の使われ方がある。

これも「責任」と同じく、協調性がない人間ほど他人のことを「協調性がない」と嘆いているものである。

たとえば、職場に母子家庭のため定時退社が基本で、休日出勤に応じることができず、子どもの体調不良のために突発的に休みことが多い従業員がいたとする。

「一人で子どもを育ている以上、そうなることは仕方がない」

ごく普通に考えれば、そう言ってその人の穴を埋める人が「協調性のある人」である。

しかし、なぜかそのような支え合いを嫌う人間が「あの人は自分勝手で協調性がない」と声高に非難することが少なくない。

別に私は「すべての人が子どもを持つ同僚に協力すべきだ」と言っているわけではない。

人間は誰もが他人の都合よりも自分の都合を優先する権利があると思う。

現に彼らはその権利を行使している。

にもかかわらず、「あの人は協調性がない!!」などと憤っている。

いや、どう見ても「協調性がない」のはあんたの方だろう!?

このように、職場では常に「責任」だの「強調性」だの言われることが多いものの、その言葉は発言者にとって都合のいいように使われていることが多いため、他人から向けられるこのような言葉を鵜呑みにしてはいけない。

次回へ続く